このコーナーでは龍馬自身が自分の歩みについて話してくれています。
かしこまって自分を語るパターンと、土佐弁まじりにプライベートなことにもふれながら友達に話すような口調で語りかけてくれています。
2つのパターンの語りを読んで、龍馬の歩んだ一時代を感じて楽しんでください。
パート1 龍馬が語る「私の人生」
皆様、はじめまして。坂本龍馬と申します。土佐(現在の高知県)出身の男でございます。ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
土佐での幼少期
私は文政8年(1825年)11月15日、土佐藩の郷士の家に生まれました。父・八平と母・幸、そして姉の乙女(おとめ)と千鶴(ちづる)に囲まれて育ちました。特に姉の乙女には可愛がられ、何かと面倒を見てもらいました。実は子供の頃の私は、今では信じられないほど臆病で弱虫だったんですよ。姉の乙女に庇護されながら育ったものですから。
ところが、ある日のこと。いじめっ子に絡まれて、いつものように泣き出そうとした時、姉の乙女が「男なら強くなれ」と叱咤してくれたのです。その言葉がきっかけで、私は剣術の道に入りました。勝海舟先生と出会うまでは、「北辰一刀流」という剣術に打ち込んでいたんですよ。
脱藩と新たな道
土佐藩は厳しい身分制度があり、郷士の私には大きな壁がありました。いわゆる「上士」と「下士」の差。この理不尽な身分制度に疑問を感じていた私は、27歳の時に思い切って脱藩しました。当時は死罪に値する大罪でしたが、日本の未来のためには乗り越えねばならない壁でした。
江戸に出てからの私の人生は激変します。特に転機となったのは、勝海舟先生との出会いでした。先生の元で「航海術」を学び、同時に新しい思想にも触れることができました。「日本を変えるには、まず西洋を知らねばならない」という考えに強く共感したものです。
亀山社中と海援隊
長崎で「亀山社中」という組織を立ち上げたのは、志を同じくする仲間たちと新しい日本の未来を考えるためでした。その後、「海援隊」と名を変え、武器商売を始めたのも、単なる商売ではなく、日本の近代化のための資金集めが目的でした。
皆さんは「日本初の商社」なんて言ってくださいますが、当時の私としては「何とか日本を変える糸口をつかみたい」という一心だったんですよ。船を買い、貿易を行い、その利益で志のある若者たちを支援する。そんな仕組みを作りたかったのです。
「船中八策」と薩長同盟
私の最大の功績と言われるのが「薩長同盟」の仲介でしょうか。本来なら水と油のように相容れなかった薩摩藩と長州藩を結びつけるのは、容易なことではありませんでした。しかし、両藩が手を結ばなければ、新しい日本は生まれないと確信していました。
また、「船中八策」として知られる私の構想も、船の上で考えたものです(実際は「陸援隊規約」といいますが)。「公議世論」による新政府の樹立、身分制度の撤廃、欧米列強に対抗できる軍備の充実など、当時としては革命的な内容でした。振り返れば、この構想が後の明治維新につながったと言えるかもしれません。
人間・龍馬として
政治や歴史の教科書に載っている「坂本龍馬」ではなく、人間としての私を少しお話しましょう。
私は酒が大好きで、良い酒があれば夜通し飲むこともありました。また、手紙を書くのも好きで、妻のお龍(りょう)や姉の乙女によく手紙を送りました。特にお龍との馴れ初めは面白いエピソードで、私が宿で寝ていたところを、彼女が誤って踏んでしまったことがきっかけだったんですよ。それからというもの、彼女の明るさと気丈さに惹かれ、一緒に旅をするようになりました。当時としては珍しい「新婚旅行」もしましたね。
また、私は風呂が大好きでした。長州藩と談判した後も「まずは風呂に入りたい」とせがんだほどです。そして、新しいものにも興味津々で、写真館ができれば真っ先に行って写真を撮り、西洋の服装も試してみました。
最後の日々と想い
慶応3年(1867年)11月15日、京都の近江屋で私と仲間の中岡慎太郎は襲われました。私の33回目の誕生日でした。
「日本の夜明けはもう近い」
これが私の最後の言葉だったと伝えられていますが、本当のところはどうだったのか…。ただ、私が命がけで目指した「新しい日本」は、確かに夜明けを迎えつつありました。
皆さんへのメッセージ
今、このブログを読んでくださっている皆さんへ。時代は違えど、一人ひとりが「日本をより良くしたい」という志を持ち続けることが大切です。身分や立場に関わらず、誰もが自分の可能性を追求できる社会。それが私の夢見た日本の姿です。
変革の時代には、常に困難がつきものです。しかし、困難があるからこそ、人は成長し、社会は進化していくのではないでしょうか。「世の中を変えるのは、常に一握りの熱狂した人間である」と私は信じています。
皆さんも、自分の信じる道を突き進んでください。たとえその道が険しくとも、諦めずに進むことで必ず道は開けるはずです。
さあ、これからも共に、新しい時代を創っていきましょう。
坂本龍馬より
パート2 わしの生き方と好きなもの
おはようさん、わしは坂本龍馬というもんじゃ。土佐の片田舎から出てきた一介の浪人よ。今日はわしの生き方や好きなことについて少し語らせてもらおうかのう。
わしの生きる道しるべ
わしはな、「日本を世界の一等国にする」ということをいつも考えておる。この鎖国の時代、日本は世界から取り残されておるんじゃ。黒船がやってきて、みんな驚いたろう?わしもびっくりしたがの。じゃが、恐れおののいておるだけではこの国の未来はない。世界と肩を並べ、対等に渡り合える国にせねばならん。
「公議世論」というものをわしは大事にしておる。武士も町人も農民も、みんな日本人じゃ。みんなの知恵を集めて国を動かす。そうあるべきじゃと思うとる。どこぞの殿様や旗本だけの国じゃない。日本はみんなのもんじゃ。
土佐の藩を飛び出したのも、そんな思いがあったからよ。一つの藩の中だけにおったら、見える景色は限られておる。わしは日本全体を見たかった。いや、世界を見たかったんじゃ。
勝麟太郎(海舟)先生に会うてからは、目からうろこが落ちる思いじゃった。「このままでは日本はやられてしまう」という危機感と、「何とかせねば」という思いが、わしを突き動かしたんじゃ。
「海援隊」を立ち上げたのもそのためよ。「以商攘夷」と言うて、商売で外国と渡り合う。武力だけではなく、知恵と商売で世界と関わっていく。それがわしの考えじゃ。藩や幕府に頼るだけでなく、民間の力で日本を変えていこうと思うたんじゃ。
わしの好きなこと
海と船が好きじゃ。幼い頃から高知という港町で育ったせいかのう。海を見ておると心が落ち着く。長崎で見た外国船の壮大さには感動したぞ。「いつかはわしも、こんな船に乗って世界を渡りたい」そう思うたもんじゃ。
西洋の文化や技術にも興味があるわい。彼らの進んだ技術、特に船の造り方や航海術、それに銃や大砲の仕組みなど、目から鱗が落ちる思いじゃった。日本も学ばねばならん。
剣術も好きじゃった。若い頃は千葉周作先生の道場で修行したもんじゃ。体が弱かったわしが、剣の道で鍛えられたのは大きかった。今でも危ないときには役に立っとるわい。
酒も嫌いじゃないのう。仲間と酒を酌み交わしながら、日本の未来を語り合う。そんな時間が何よりも楽しいわい。幕府の走り回し連中に追われる身じゃから、ゆっくり飲む時間は貴重じゃ。あんまり飲みすぎて姉貴に叱られることもあるがの(笑)。
手紙を書くことも好きじゃ。特に姉の乙女には、よく手紙を送っておる。遠く離れた人と言葉を交わすのは、何とも言えん喜びがあるわい。「どうしとる?」「元気にしとるか?」そんな言葉を交わすだけで、心が近くなる気がするんじゃ。
それから、新しいアイデアを考えるのが好きじゃ。「こんな国にしたい」「こうすれば良くなる」そういうことを考えるのがわしは楽しくてのう。「船中八策」も、そんなふうに考えたもんの一つじゃ。
最後に
わしの生き方は、「自由に生きる」ということに尽きるかもしれん。土佐藩を飛び出し、幕府と反幕府の間を行き来し、どこにも属さずに日本のために動き回る。それがわしのやり方じゃ。
「このままではいかん」という危機感と、「何とかせねば」という責任感。それに「世界を見据えた新しい日本」への希望。そんなものがわしを動かしとるんじゃろう。
まだまだやりたいことが山ほどある。この時代の激流の中で、わしにできることをやっていくだけじゃ。世界の一等国を目指して、今日も走り回るぜよ!
お互い、自分の信じる道を行こうじゃないか。薩長同盟も成ったことじゃし、この国も少しずつ変わり始めとる。これからが楽しみじゃ。
では、また会おう!坂本龍馬でした!
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