Genius is one percent inspiration
and ninety-nine percent perspiration. Thomas A. Edison
・inspiration・インスピレイション・ひらめき、霊感 ・perspiration・パースピレイション・汗、努力
天才とは、1%のひらめきと99%の汗である。
これは、明治時代の頃、アメリカで活躍した発明家・トーマス・エジソンの有名な言葉です。何かに全力でトライしたけれど、うまくいかなかったとしたら、おそらく私たちの8割以上の人は、がっくりきて次の行動に移れず、それで終わってしまいかねません。このように考えると、エジソンという人は、ふつうの人が、失敗と思うことを失敗と思わなかったところからして、やはり凡人ではなかったのでしょうね。
明治維新が1868年ですから、その20年ほど前の1847年に、エジソンは生まれます。アメリカ中西部のオハイオ州はミランというところです。父はオランダ系で、母はスコットランド系でした。トーマス・エジソンは7人兄弟の末っ子です。トーマスが7歳の頃になると、エジソン家族は、同じ中西部のミシガン州ポートヒューロンに引っ越しました。
トーマスは、けた違いに好奇心の強い少年です。小学校に入ると、授業中に先生の説明に、「なぜそうなるのですか。」という質問ばかりする子どもでした。こうした異常なほどの質問攻めに、先生も辟易するほどだったそうです。そのようなことから、何でも知りたがるトーマス少年にとって、学校の勉強だけではもの足りなくなってしまいます。あれやこれやで、わずか3か月で小学校を中退することになりました。
その後、小学校の教師であった母が、息子の家庭教師をすることになりました。
母親は、わが子の好奇心を満たすために、家の地下室に様々な化学薬品などを揃えてあげました。母親の愛情と理解のお蔭で、トーマス少年はいろいろな実験を好きなだけすることができたのです。
こうした少年時代を過ごしたエジソンは、17歳の頃、カナダの駅の電信係として働き始めました。かたわらで発明に情熱を傾け、21歳ではじめて特許を取得。84歳の生涯を閉じるまでに、1300件ほどの発明品を世の中に送り出した言われています。
そんなエジソンの活発な原動力となったのは、もちろん、本人の生まれながらの資質もあるでしょうが、とくに、母親のやさしい愛情のなかで育てられたのが大きかったかもしれません。親に無条件に信じてもらえることで、子どもは自分を信じることができるし、自尊心も大きく育つということでしょうか。
最後になります。エジソンはこのような内容のことをつぶやいております。
私たちのいちばんの弱点といえば、何でも途中で諦めてしまうってことかな。
あと1回だけトライしたら、成功するかもしれないのに。99%の人は、もうこれ以上良い考えはない、というところまでは行くんだよ。でもね、そこで諦めて、やる気をなくしてしまうだよ。ほんと、まったくもって、もったいないことです。諦めてしまったときが、実は成功の目前だったことに気づかないのです。
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