江戸時代の庶民のもったいない精神を思い出してみよう!

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廃物に命を吹き込む ~江戸のリサイクル職人たちの物語~

寛政三年(1791年)
、江戸の街は朝もやに包まれていた。日野屋重兵衛は、まだ薄暗い空を見上げながら、今日も古着を集める旅に出る準備をしていた。

「おーい、古着買いでござーる!」

重兵衛の声が朝の静けさを破り、通りに響く。彼は江戸っ子に愛される「古着買い」だった。背中には篭を背負い、手には小さな鈴を持ち、その音色は江戸の朝の風物詩となっていた。

重兵衛さん、ちょうどいいところに!

路地の角から、常連の神田のお梅が顔を出した。手には色あせた藍染めの着物が一枚。

「息子が大きくなって着られなくなったんだよ。買い取ってくれないかい?」

重兵衛は着物を手に取り、生地の具合を確かめるように指で触れた。

「これはまだまだ使えますな。一分銭二枚でどうでしょう」

お梅は満足げに頷き、取引は成立した。重兵衛が集めた古着は、仕立て直しの名人・松坂屋の勘兵衛のもとへと運ばれる。そこで古着は生まれ変わり、別の誰かの大切な衣として再び世に出るのだ。

同じ頃、江戸城下の別の場所では、紙屑買いの伊三郎が忙しく立ち回っていた。彼の役目は、反古紙や使い古された障子紙を集め、紙漉き職人に届けることだった。

「伊三郎さん、この古文書はどうかね?もう使わないんでね」

本町の古本屋の主人が声をかけた。伊三郎は古文書の束を受け取ると、「これは立派な紙でござりますな」と目を細めた。

伊三郎が集めた紙は、日本橋の外れにある小さな紙漉き工房へと運ばれる。そこで職人の清兵衛が紙を一度柔らかく溶かし、新たな紙として再生させるのだ。時には、江戸の文人たちが愛用する高級な和紙にも生まれ変わる。

紙は七度まで生まれ変わる」と江戸の人々は言っていた。一枚の紙がどれほど多くの人の手を経て、幾度となく姿を変えていくことか。

日が昇り、江戸の街が活気づき始めると、別の声が通りに響いた。

「こーえとり、こーえとりー!」

肥取りの源兵衛だ。彼の仕事は、各家庭から人糞尿を集め、それを近郊の農村へと運ぶことだった。都市と農村をつなぐ重要な役割を担っていたのである。

「源さん、今日も頼むよ」

商家から声がかかる。源兵衛は大きな桶を肩に担ぎ、手際よく作業を進めた。

「今年も小松川の大根が立派に育ちますぜ、旦那」

彼が集めた肥料によって、江戸近郊の農地は豊かな実りをもたらし、その農作物はまた江戸の市場へと戻ってくる。完全な循環の輪だった。

夕方になると、灰買いの勝蔵が姿を現す。各家庭から出る炊事や風呂の灰を集めて回るのが彼の仕事だ。

「灰はいらんかね~、灰買いでござる~」

料理屋の裏口で、板前の与吉が勝蔵を呼び止めた。

「勝さん、今日も灰がたまったよ。持ってってくれ」

「あいよ。与吉さんとこの灰は、いつも質がいいからな」


勝蔵が集めた灰は、染物屋へと運ばれる。灰は布を染める際の媒染剤として重宝されたのだ。また、一部は農家の肥料としても使われた。江戸では、灰一つとっても無駄にはしなかった。

日が暮れ始めた頃、下駄直しの金太が商店街の一角に小さな店を開いた。

「おじさん、この下駄、もう直らないかな?」

十歳ほどの少年が、すり減った下駄を見せる。金太は下駄を手に取り、じっくりと観察した。

「うーん、歯がだいぶすり減っているな。でも大丈夫、新しい歯をつけてやろう」

金太は器用な手つきで古い歯を取り外し、新しい木の歯を取り付けていく。下駄が完全に使えなくなった時でさえ、その木材は燃料として、最後の一片まで使われるのだ。

「はい、できたぞ。これでまた長く履けるだろう」


少年は喜んで、修理された下駄を受け取った。江戸の子供たちは、物を大切にする心を自然と身につけていったのである。

夜が更けると、月明かりの下で「継ぎ当て」の名人、お針子のお登勢が仕事に精を出していた。彼女の手にかかれば、どんなにボロボロの着物でも見事に蘇る。

「この小紋、もう捨てようと思ったんですが、お登勢さんなら何とかしてくださるかと…」

裕福な商家の奥方が持ってきた着物を、お登勢は丁寧に広げた。

「ここに藍染めの布を継ぎ当てて、刺し子で模様をつければ、かえって風情が出ますよ」

お登勢の針仕事は芸術だった。古い着物に新たな命を吹き込み、さらに美しく変化させていく。「継ぎ当て」は単なる修繕ではなく、美意識の表現でもあったのだ。

翌朝、日野屋重兵衛はまた古着を求めて江戸の街を歩き出す。昨日集めた古着の中には、もはや着られないほどのボロ切れもあった。それらは細かく裂かれ、「襤褸(ぼろ)」として新たな役目を待っている。

「これらの襤褸は、今日、紙漉き屋の清兵衛殿に届けるとしよう」

襤褸は紙の原料として生まれ変わり、その紙はまた誰かの手に渡り、いつか反古となってまた紙屑買いに集められる。このように、江戸の街では物が途切れることなく循環していた。

捨てる」という概念がほとんど存在しなかったのである。

もったいない」―この言葉は江戸の人々の心に深く根付いていた。物を最後まで使い切り、別の形で再生させる。それは単なる倹約ではなく、物への敬意であり、限られた資源を大切にする知恵だった。

江戸には「棄てるに忍びず」という言葉もあった。どんな物にも命があり、その命を最後まで尊重する―そんな感覚が江戸の人々の日常に息づいていたのだ。

現代の私たちが「リサイクル」と呼ぶものは、江戸の人々にとっては当たり前の生活様式だった
。彼らは意識的に「環境に優しく」あろうとしたわけではない。むしろ、物を有効に使うことが合理的であり、美しいことだと考えていたのだ。

日野屋重兵衛、紙屑買いの伊三郎、肥取りの源兵衛、灰買いの勝蔵、下駄直しの金太、お針子のお登勢―彼らは皆、江戸のリサイクルシステムを支える名もなき職人たちだった。彼らの仕事があったからこそ、江戸は持続可能な「循環型社会」として機能していたのである。

そして今、私たちが直面する環境問題に対して、江戸時代の知恵は多くのヒントを与えてくれる。物を捨てるのではなく、繰り返し使い、形を変え、最後まで大切にする―そんな江戸の精神は、現代においても新鮮な輝きを放っている

物語は江戸とともに過ぎ去ったが、その知恵は今なお生き続けているのだ。

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